これがアップされるころにはFF12をやるために、サイトは放置されているのではないかと思います。ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWSのセミマルです。
さて、本日のお題は「失敗談」です。小さい失敗は数知れず、大きいものだと数万人規模の人が流れ込んでくる、いわゆる祭り(今は炎上っていうのか?)を起こしたこともあります。祭りを外から煽ったことはあっても、その中心にいた経験のある人はあまりいないだろう(というか経験しないのが一番幸せだけど)と思うので、自分の体験をもとに当事者には祭りがどう見えるかを書いてみようと思います。 当事者視点での「祭り」について。
一番いいのは祭りに巻き込まれないことである。
祭られた場合の対処法。
ディスプレイの向こう側にいるのは、同じ人間である。
終わりに。
あとがき的な何か
#
by text_project
| 2006-03-20 18:17
| セミマル
今回のお題は「失敗談」。
サイト運営において小さな失敗はいくらでもある。 記事で誤った説明をしてしまったことや曖昧な表現をしてしまったこと、コメント欄で指摘されるまで気が付かなかったなど、失敗と言えることは日常的にある。 しかし、ここでは過去の失敗ではなく現時点で失敗しているなと思っている現在進行形の話をしようと思う。 生々しい具体的な話になってしまうかも知れないが、そこはひとつ我慢していただきたい。 そもそも私は非常にものぐさである。だからサイトも毎日更新することができない。少しでも毎日更新に近づけようとはしているが、週に3回くらい更新するのが精一杯である。いま最もアクティビティが高いのは間違いなくはてなブックマークであろう。なぜならば更新が楽だからだ。 サイトの更新はしないのに突然リニューアルをしてみたり、サイト更新を楽にする方法を実装してみたりシステムを更新するのが大好きだったりする。 実を言うとここ2週間くらい自宅のサーバ構築とOrbiumのMovableTypeバージョンアップ+改造とかをしていて更新がおろそかになっていた。現実逃避と言うほどではないが、作り込んでいく作業が大好きで没頭してしまう。JavaScriptを使えるようになりたいなとか、本格的にDBを使ってなんか作るかなあとか真剣に検討してしまう。本来は文章や考え方を公開する側の人間ではなく、公開する場を提供する方が性に合っているのではないかと真剣に考えている。やりたいことがあったときに、それを形にするには今ある道具でできないことが多い。それを作り上げるだけの技術力が欲しいと常々思っている。 場を提供するという意味でもProject::Logistica.とWizrary(これは放置中…)という2つのサイトを運営している。 また、サイト論を書いていたMuibrogも完全に放置状態になっている。その背景にはこのLogisticaの存在も全くないわけではないが、そもそも放置状態だった。ニュースサイターのサブブログは放置になるなんて話があったが、まさにそれである。本当は更新したいと思っているし、いまからアクティブにすることに意味を感じていないわけではない。たぶん近いうちに稼働するのではないかと思っている。 そこでしかできないことにこだわる必要を感じなくなってきているからだ。 というのも、サイトの表情はそのときそのときの運営者の感性を映し出す鏡のような存在なのではないかと思うためである。その姿はおそらく管理人にしか見えないくらい些細な変化しないのかも知れないが、管理人はそのことに非常に敏感であるはずだ。少なくとも私は敏感でありたいと思っている。その姿が立ち上げた後の自分を束縛することがある。その束縛に囚われてしまうことがサイト運営上の失敗となるのではないかと思う。 このことはサイトを複数持っている管理者にも当てはまる。 更新が息苦しくなるとき、放置してしまいたくなるとき、それは過去の自分か映し出された鏡をみて奇妙な感触を持っているときなのではないか。きっと今やりたいこととサイトでしていることに隔たりができているのではないだろうか。 サイトは自分のものである。そのときの自分がやりたいことをすればいい。そのときやりたいことを見つけるのもまた難しいのであるが、手探りで方針転換してみるのもおもしろいと思う。本質的に行うことにダイナミックな変化は無いはずであり、流れる空気が変わればおもしろさは増すはずだと思う。実際に新しいことを始めるのはエネルギーが必要であるがおもしろく、様々なことを与えてくれる。実際、私はこのLogisticaでも様々なことを教わっている。 そのことを実感として感じることができなかった自分はいままで失敗していたのだなとこの文章を書いてようやく理解した。 この文章は失敗談を綴るエントリであるはずで、当初はサイトを放置していることが失敗なんだろうかという文章を書こうと思っていた。 しかし、書いている途中で運営における失敗の本質は過去の自分を映し出しているサイトの表情に束縛されていることなのではないかということに気付き、途中で方向転換した駄文である。本来なら推敲しきれいに書き直すべき文章であるが、そのプロセスを残すためこのままの形で公開することにする。 失敗談というお題についてはきちんと書けていません。本当にすいません。 #
by text_project
| 2006-03-19 14:21
| とし
私は自分の失敗談なんて書きたくない。お題を知る3日前に、失敗談の方がためになるから好きというエントリを書いたばかりなのに、このお題を言い渡された瞬間、私は「いやだ」と一人つぶやいた。
失敗談は、読む分には良いが、書くのには非常に勇気がいる。 そう、実際書く立場に立ってみて初めて気づいたことだ。自分が失敗と思っていることにはすべて誰かに迷惑をかけていることだからだ。むしろ私は、誰かに迷惑をかけてしまったこと、嫌な思いをさせてしまったことに対して最も失敗を感じる。そしてほとんどが自分の中で決着がついていない。だから書くことに勇気が必要なのだ。 それでも書く。ごめんなさいと思いながら書く。
はい。生々しすぎてごめんなさい。 最初の2つはコメントによる失敗。ニュースサイトのコメントはいろんな人が見ているんだなと思いました。紹介した記事を書いた人、自分のサイトの常連さん、自分のニュースサイトに紹介するネタ集めに来る人、情報元リンクのアクセス解析から辿ってきた人、他のニュースサイトで情報元として紹介されているリンクから来た人、たまたま通りがかった人、などなど。それなのに、私は調子に乗ってしまうと視野が狭くなり、一番印象に残ったことだけを対象にコメントを書いてしまうことが多いです。ニュースサイトにとって、コメントは大きな武器にもなる反面、このような失敗も起こることを意識するようになりました。 最後のはニュースサイトの津波が起こしてしまった失敗。ニュースサイトというものはその性質上、非常に大きなアクセス数を生むことがあります。そして、そのアクセス数が問題を起こすことがあります。その原因は、最初にその記事を取り上げた人と、それを紹介した人と、さらにそれを紹介した人と、…と伝播していくうちに最初に取り上げた人の意思がなくなってしまうこと、そして無常にもアクセスは大量発生してしまうこと。同様な例として嘘ニュース問題もあてはまります。アクセス数が多いことは正しい、あのニュースサイトで紹介されていたことは正しい、そう思われてしまうことです。これについては、ちゃんとネタはネタと表記するのが良いとは思いますが、私個人としては読者にも情報の真偽を見極める目を鍛えてほしいと思います。 ここまで書いて気づきました。「失敗談は、読む分には良いが、書くのには非常に勇気がいる」と思ったのはなぜか。それは、まだ自分の中で解決していない問題だから。では、どうしてまだ解決していないのだろうか。それは、きっと、あのときあやまることができなかったからだと思ったのです。 みなさん、誰かに迷惑かけたらあやまりましょう。これが一番大切! ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。 #
by text_project
| 2006-03-18 14:30
| まなめ
|
検索
カテゴリ
Authers
以前の記事
最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||