Project::Logistica.
2008-12-20T17:14:35+09:00
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お題に興味を持ったらテキストを投稿してみませんか? 詳しくは「記事を投稿してみませんか?」をお読み下さい。
Excite Blog
筆者とサイトと閲覧者 / とし
http://logistica.exblog.jp/2769534/
2006-07-11T10:10:18+09:00
2006-07-11T10:10:18+09:00
2006-07-11T10:10:18+09:00
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とし
サイトは興味を共有するためのものではないだろうか。
以前、私のサイトで「ニュースサイトの中のヒトはなにを考えるか。」という文章を書きました。ここではサイト運営者として閲覧者の興味を感じることが最も大きな喜びだと書いています。
もう1年以上前の文章になってしまいましたが、基本的に思うところは変わっていません。サイトを運営するためには自分の興味の方向性をしっかりと理解し、それを楽しむことが大切だと感じています。それが閲覧者の興味を誘発すると思っているのです。
自分の興味をサイト上で表現することで閲覧者と初めて興味を共有できるようになる。言葉を換えれば好きなことを好きなように展開すればサイトは自ずと固定の閲覧者をつくってくれるデバイスになるということです。また、長期的には閲覧者が筆者に興味を持ってくれることが最大の喜びであるという点も先の文章と全く変化していません。そして、このサイト構築のスタンスはサイトをそういったデバイスにも十分にしてくれるでしょう。
興味の変遷とサイトの関係
ところで今現在、私のサイトは更新が停止しています。もちろんその間もサイトの閲覧は行っていますが、最近ニュースサイトを閲覧することが少なくなってきました。厳密に言えば閲覧するニュースサイトが減っています。自分自身の興味がニュースサイトに向かわなくなってきたということです。興味の方向性が変化してきているわけですね。
この興味の変遷は更新が止まっている遠因にもなっています。サイトが軌道に乗ったことは良かったのですが、書き手としての自分がその軌道に束縛されている状況。サイトに繋がれてしまい、サイトとの繋がりが脆弱になってしまっているとでも言えば良いでしょうか。
サイトの更新は停滞し、書きたいことがあっても書きにくいサイトしかない。これはサイト運営者として由々しき事態です。近いうちに更新を再開しようと考えていますが、不思議とそのことを漠然とどうしようか考えているときはもがいているけれどとても楽しい。興味の方向性と表現を考えることはサイト運営のひとつの隠れた楽しさだと思うのです。それほど目立った変化はないでしょうが、書き手としての意識は変化しているはずです。
筆者とサイトと閲覧者
この文章の冒頭でサイトというデバイスを介在した閲覧者との関係を考えようと書きましたが、実は筆者とサイトとの関係は閲覧者との関係そのものだといえるのです。自分の興味をそのまま素直に表現できるサイトを維持することが閲覧者との繋がりを最も強く感じることができるサイトとなるでしょう。そして、そのサイトはおそらく閲覧者を満足させることができるのではないでしょうか。
そんなサイト作りができたら幸せだなあと心から思うのです。]]>
トラックバックで繋がるということ / まなめ
http://logistica.exblog.jp/2756947/
2006-07-10T00:08:59+09:00
2006-07-10T00:08:59+09:00
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まなめ
人が生まれるとき、母親とへその緒で繋がったまま生まれてくる。これを切った瞬間から、寂しさを感じるのではないだろうか。だから、人は繋がりを求めるのだ。家族、地域、学校、会社、部活、サークル、趣味、友達、彼氏・彼女…。繋がりはそこらじゅうに存在する。
携帯電話。今、繋がりアイテムNo.1といったらコレだろう。電話し合ったり、メールしたり、Webを見たり、掲示板に書き込んだり。アドレス帳にお互いの番号を登録しあっただけでも、繋がったと感じる人も多い。そんな現代の人たちは、携帯電話を持っていないだけで不安になったり、圏外になっただけで不安を感じることさえある。
インターネット。携帯電話に勝るとも劣らない繋がりアイテム。私もインターネット接続症候群(仮称)を患っており、ネットに繋がったPCが手元に常にないと不安に感じることがある。ネットに繋げる。ネットの向こう側の人と繋がる。人と繋がる。一人じゃないんだ。おそらく、ひきこもりが部屋で一人でいられるようになったのは、ネットの功績が大きいと思う。
さて、よく分からない前置きを書いたが、収拾がつかなくなったので本題。
「繋がり」と言われて何を思うだろうか。多くの人は「SHINと繋がったままこんな街中歩くなんて頭がフットーしそうだよおっっ(c)げっちゅー!」を思い浮かべたろうか。前述の通り、携帯電話やインターネットを思った人もいるかもしれない。しかし、ここは私がサイト論を愛好する立場として「トラックバック」について書こうと思う。
トラックバックは要するに、記事と記事を繋げるシステムだ。トラックバック以前は、リンク報告をしたり、アクセス解析でリンクされたことに気づいてくれない限り、相手がリンクされたことを知る術がなかった。しかしトラックバック以降は、そのような報告もせずに相手の記事にトラックバックを送ることで相互リンクが完成してしまうのである。
相互リンクからトラックバックになったことで変わったことといえば、サイト全体同士が繋がるのではなく、サイトの一部である記事同士で繋がるようになったことだろう。これによって変わったことをいくつか挙げてみる。
焦点を絞ったことにより、繋がりが強くなった。
サイト同士の相互リンクの問題点であった、相互リンク後のジャンル変更やサイト縮小などの変化の問題がなくなった(トラックバックで繋がった記事同士に変化はない)
サイト全体、あるいは管理人同士の繋がりを感じることが少なくなった。→その記事のみの繋がりという割り切り。
ある記事にアクセスやトラックバックが集中すると、(その繋がりがうれしくて)そのジャンルの記事ばかり書く機会が増え、他ジャンルの記事が書きにくくなり、ブログの分割が発生。→部分の全体化
特定の記事へのトラックバックは、受信したブログ(全体)の読者には見えにくいものである。
特定の記事へのトラックバックは、その記事の内容に興味がある読者にとって同じジャンルの記事を探すためには非常に有用である。
全体から部分へ。例えば、ニュースサイトという立場としては良い部分だけを抽出できる利点があるが、サイト全体としてその流れが好きだったり管理人の考え方が好きだったりすると紹介しにくかったりする。例えば、ブログ管理人としての立場では、他にどんなくだらない記事を垂れ流していても一つ良い記事を書けばそこだけを見て評価してくれる利点もあれば、他にも良い記事があるのにそっちには見向きもしてくれないと不平を言う人もいるだろう。
例えばこの記事は、私が書いている。誰かが関連した記事を書いてトラックバックを送ったら、この記事とその記事は繋がることになる。記事と記事が繋がれば、記事を書いた人と記事を書いた人も繋がる。しかし、私が書いている記事はこの記事だけではない。いくつかの記事があって一つのブログなのだ。決して全体では繋がってはいないのである。なんだか寂しい。
例えばこの記事は、私が書いている。誰かが関連した記事を書いてトラックバックを送ったら、この記事とその記事は繋がることになる。記事と記事が繋がれば、記事を書いた人と記事を書いた人も繋がる。なんて素晴らしいことだろう。たった一部しか関心の交わりがなくても、私たちは繋がることができるのだ。頭がフットーしそうだよおっっ。
トラックバックというシステムにより、記事と記事が、ブログとブログが、そして人と人とが繋がる敷居はかなり低くなったと思っている。今まで勇気がなくて相互リンクをしてくださいと言えなかった人も、トラックバックを送ってみるのはどうだろうか。
私はいつか404 Blog Not Foundというブログにトラックバックを送りたいと思っている。理由は、私のブログと名前が似ているという小さなものである。しかし、なかなか自分が反応できる記事がない。それでも毎日ブログを読んでいる。たった1回でも自分がトラックバックを送れるような記事が書かれたら、それにトラックバックを送ることで繋がることができるのだから。なんだか、校門で憧れの先輩が出てくるのを待っている少女のような気分である。]]>
繋がり / 鴎
http://logistica.exblog.jp/2680467/
2006-07-02T00:09:59+09:00
2006-07-02T00:09:59+09:00
2006-07-02T00:09:59+09:00
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鴎
僕の好きなバンドにfishmansという人たちがいるのですが、ヴォーカルであり作詞作曲していた佐藤伸治さんは風邪で命を失ってしまったのですね。1999年3月15日のことです。
去年から今年にかけて、fishmansはリユニオンツアーを行いました。仲間が集まり、fishmansの名の下に「2000年代の音」を鳴らした旅でした。その様子は映画化されました。
歌い継がれるような歌を作り出した佐藤さんにも、それをともに作り上げたfishmansの面々にも、それを今歌うすべての人たちにも、幸せな時間が流れていたと思います。みんながfishmansが好きで、その気持ちが伝わってくる、いいライヴでした。こうして歌というのは血肉になっていくのだなぁと思いました。
先人が残した遺産。素晴らしい創造物の恩恵を受けて、いつの世もヒトは生きていくと思います。
そしていつかは自分の創造物を、後の世代に残していくのだと思います。
果たして、僕は何かを創造できるのかなと不安になります。
自分の好きなものを、同人的に加工するのは楽しいし、まるで自分が素晴らしい想像力を持った人間のように思います。
でも、それでいいのかな?とも思うのです。
ある意味それは、自分の表現をすることから逃げているだけなのではないか。
そう感じるときがあります。
すべては模写から始まると先人はいいます。
その中で、少しでもオリジナルなものを、世の中に出していければいいなと、思います。
そういう意味でPlogjec::Logisticaは良い意味で課題を与えてくれたと思います。
こんな素敵なつながりをつくってくれた、としさんと他のメンバーの方々に感謝。]]>
繋がり / セミマル
http://logistica.exblog.jp/2642931/
2006-06-28T00:58:31+09:00
2006-06-28T00:58:31+09:00
2006-06-28T00:58:31+09:00
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セミマル
さて、本日のお題は当方からということで「繋がり」です。トップバッターということで今回はオーソドックスにサイト間の繋がりについてでも書こうかなぁと思っていたのですが、そうはなりませんでした。というわけで、今回は話の軸がドンドンずれていく様子をお楽しみください。なんだこの前書き(´д`;)
個人ニュースサイトの繋がり
考えてみると個人ニュースサイト間の繋がりというのは面白い。2年以上付き合いがあるのに会ったことがないなんてザラである。それどころ、ほとんどのサイトさんとは面識はおろかメールのやり取りすらしたことがない。
面白い情報が載っていれば、ネタ元として紹介するだけである。一般社会ではとても成立するとは思えない関係である。基本的にはお互いに参照しあうだけである。自分のアンテナに引っかかる情報が載らなくなればサクッと巡回路から外し、外される間柄である。そう考えてみると、なかなかドライな関係である。
また、基本的に互いの意見を押しつけあうことはしない。それぞれが自分の価値観に従い、勝手気ままに運営している。そこにはなんの強制力もないし、明文化されたルールも存在しない。にも関わらず、まったりとしたゆる~いコミュニティのようなものが成立しているのだから、本当に面白い。
ゆる~い繋がり VS 相互リンクという鎖
ある程度サイト運営を続けると、このゆる~い繋がりが心地よくなってくる。誰に強制されるでもなく、自分の好きなサイトを好きなように紹介したいと思うようになる。そこで悩ましくなるのが相互リンクである。
相互リンクを依頼してもらえるのはとてもありがたいことである。しかし、相互リンクというのは縛りになる場合も多い。相互リンクは「私もリンクするから、アンタもリンクしてね」ということを誓約するようなものである。貼るのは簡単だが、剥がすのは大変である。
ニュースサイトの場合、リンクの質はもろにサイト自体の質に関わってくる。質を保つためには時にはリンクを削ることも必要になってくる。そんな時、相互リンクしたサイトを削る罪悪感は半端ではない。それなら最初から相互リンクなんか受け付けないほうがいいやと思うのである。
たかがリンク。されどリンクである。個人ニュースサイトにとって最も重要なコンテンツはリンクである。リンクは個人ニュースサイトの命と言っても過言ではない。メインコンテンツである様々なネタへのリンクはもちろんのこと、柱リンクも決してないがしろにはできないのである。
新規参入の難しい個人ニュースサイト界隈
ニュースサイトは始めるのは簡単で、やろうと思えば誰にでもできる。しかし、スターダムにのし上がるのは難しい。かーずSPやカトゆー家断絶クラスのサイトを作るのは困難を極める。
そもそも新規参入の場合、サイトの質以前に知名度がない。知名度のないサイトが知名度を上げる最も簡単な方法は、すでに知名度のあるサイトにリンクしてもらうことである。そして、そのための最もポピュラーな手段が相互リンク依頼だろう。
しかし、現在のニュースサイト界隈では相互リンクは嫌われている。そのため相互リンク依頼をしてもリンクしてもらえる可能性は低く、それどころかマイナスイメージを与えかねない。リンク依頼をすれば嫌われ、しなければなかなか知名度が上がらない。こうやって書いてみるとなんだか八方塞な気がする。
アクセス数なんてどうでもいいと思っている人は別に気にしないのだろうが。そうでない人にはなかなか受難の時代かもしれない。事実、ここ1・2年でスターダムを駆け上がったニュースサイトはゴルゴ31ぐらいで、それ以外の上位陣の顔ぶれはほぼ変わっていない。
がんばれ!新規ニュースサイト!!
この状況を打開できないかなぁ、とよく思う。別に今のニュースサイト界隈がつまらない思っているわけではない。しかし、もっと面白くするためには新しい血を入れて、新鮮な血液を流したほうがいいに決まっている。いつまでも同じ血ではいつか濁ってしまう。
そうするとやはり新規サイトを容易に発掘するシステムが欲しい。あるいは新規サイトを積極的に発掘するサイトとか。FLASH界隈であれば(・∀・)イイ・アクセスなんかがFLASH職人の育成に大きく貢献しているように思う。同じように新規ニュースサイトを支援する仕組みができないだろうか。
本当は自分で新しいサイトをじゃんじゃん発掘できればいいんだけど。言うのは簡単だが、それを実践するのはなかなか難しい。やっぱり既存のサイトはユーザビリティも高いし、安定して質の高い情報が得られる。
それに対し、新規サイトの発掘というのはなかなか難しい。まず、発見すること自体が困難である。その上、ユーザビリティなど細かい部分がまだまだの場合も多い。
新規サイトを発掘するより、既存のサイトを巡るほうがはるかに楽である。このあたりのジレンマを解消できるアイデアが欲しい。本当ならそのためのアイデアをここで披露したいところだったのだが、残念ながら思い浮かばず。そんなわけで、この件に関しては、ここまでこんな駄文を読んでくださった奇特な方々への宿題ということにしておこう。
あとがき的な何か
今回は何を書くかあまり考えずに書き始めたわけなんだけども。書いてくうちにどんどんわけ分かんない方向に。なんで「繋がり」ってテーマでこんな文章が出来上がるんだ。あぁ、謎だ。この世はなんて謎だらけなのだろう。
さて、最後は少しまじめにLogisticaについて。当方はサイト運営をはじめて1000日以上経っているんだけど、その割にネット上のお友達で会ったことがある人はあんまりいないです。Logisticaメンバーの中でプロジェクト開始前に面識があったのはゆつきさんだけ。
しかし、この企画が縁で何人かの人には直に会ってお話することができました。普段全然文章を書かない人間なので、原稿を出すのはかなり大変だったんですが、参加できて本当に良かったです。やっぱ直に会って話をすると物凄く刺激になります。月並みながら、こういう繋がりは大切にしたいなぁと思っております。いや、ホント。]]>
お題 その8
http://logistica.exblog.jp/2628162/
2006-06-26T18:11:01+09:00
2006-06-26T18:11:01+09:00
2006-06-26T18:11:01+09:00
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Information
「繋がり」 by. セミマル@ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS
です。
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誰のために、何のために更新するのか / Nav
http://logistica.exblog.jp/2117277/
2006-05-11T00:12:49+09:00
2006-05-11T00:12:49+09:00
2006-05-11T00:12:49+09:00
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ゲスト
Escapism管理人のNavと申します。
よくありがちな、簡単なコメント付きで記事を紹介しているニュースサイトでございます。
everything is goneのみひろさんからゲストライターのお誘いを頂きまして
今回のお題に参加させていただきます。
しかし、普段長文を書くことがないので慣れておりません。
拙い文章ですがお付き合いください。
一応、上記挨拶は堅苦しく書きましたが…私はあまり頭が良くないので
ここからはもうちょい砕けた感じで書いて行きますねw
難しい言葉を使って論じるつもりはハナからありません、
ただただ自分の気持ちをあなたに伝えたいだけなのです
・「毎日サイト更新なんてよくやるね~。」
時事ネタや流行ネタを主に扱っているニュースサイトは、
ある程度頻繁に更新しなきゃ流行についていけないっすよね。
でも学校や仕事もある中で何故更新を続けるのでしょうか?
どうして何年も更新を続けていられるのでしょうか?
『それは見に来てくれる皆さんがいるからですよ。』
『有名なサイトを作りたいから!』
『なんとなく流行ってるし結局は惰性で…』
理由に正解は無いと思うので、何でもいいとは思います。
ただ、私の場合は
『更新するのが楽しいから』
それだけです。
逆にいえば楽しくなくなれば平気で更新しなくなると思います。
私にとってのサイト運営は、一番の趣味であってそれ以上でも以下でもありません。
感覚的にはFF12みたいなゲームと同列です。
やってもいいしやらなくてもいい、でも楽しいからやりたい。
(こう書くと誤解される方がいるかもしれませんので一応。
…ゲームと同じといっても決してネット世界を
バーチャルと割り切っているわけではありません。
同じサイト管理人さん、閲覧者さんと関わることは
生身の人間と関わることだときちんと理解をしています。)
・「~ってコメントに凄く共感しました!」
「~ってコメントが気に食わないから直せ!」
web拍手を導入してからは非常に多くのご意見をいただけるようになりました。
その中にはやはり賛否両論があるわけですよ。
私はとりあげたニュースに関して気の向くままに書きたいことをそのまま書きます。
それが道徳的にちょっとよろしくないようなコメントでも言わせて頂いております。
例えば、強姦犯のニュースを取り上げた時に
「去勢するか死ねや生ゴミが」…みたいなことを書いたり
お年寄りだけを狙った引ったくり犯のニュースの時には
「生きている価値ねーよこのクズども」…みたいなことを書きました。
ただ、そのニュースを読んだときに私が感じた憤りをできるだけ素直に書きたくて
ちょっと過激な言葉を使っていることを自覚した上で好きなことを書いています。
こういうことを書くと
「いやー、言ってくれてなんかスカっとしました!もっと言え言え!!」
みたいな意見がある一方
「死ねだなんて言う人が死ねばいいよ、生きている価値が無いのはアンタの方だ」
なんて言われる事もあります。
でもね。私は自分の意見を曲げません、
道徳上良くないと自覚していながら確信犯的にそういうコメントをしているんですもの。
感情的なサイトを作りたいと思っています。
感情的なニュースサイトがあってもいいじゃない。
だからこういった議論には自分の中では決着がついています。
批判されたら毎回理解はするようにしています。ただなかなか納得は致しかねます
仮に書きたいことが書けないようになったらもう更新なんてしませんよ。ツマンネェし。
↑でも書いたけど趣味なんだもの。好きだからこそサイト運営しているんだもの。
10000人超の人が来るような大きなサイトにならなくてもいい、
その1/10であっても共感してくれる人が楽しんでくれれば満足です。
・「結局だれのために更新してんのさ」
ここまで読まれた方はわかったかと思いますが、私は自分のために更新しています。
もう少し言えば、自分と、
こんなワガママな自分が運営するサイトを楽しんでくれている人のために更新をします。
自分のためとは言いつつも、やっぱり時にはイヤになることもあるんですよね。
そういった時に応援メッセージもらったりするとやる気がでたりもします。単純なのでw
矛盾しているようですが、最終的な一線で支えられるのは閲覧者の皆さんの言葉であり
毎日同じ数字が並ぶ、物言わぬアクセス数であるというのもまた真実であるのです。
ニュースサイトを過去に運営していた方が「レスポンスの無さ」に嫌気が差してやめた。
と言っているのを聞いたことがあります。
サイト管理人なら誰もが言葉をもらうのは嬉しいと思いますので、
全然たいしたことじゃなくていいんです。
普段見ている好きな、あのサイトさんに気が向いたらメッセージを発信してみてください。
何気なく送ったその一言がそのサイトの管理人さんのパワーになるに違いありません。
僕が楽しいと思うものをこの箱の中に集めるよ。
その中には君にとって興味がないものもあるし、
一緒に遊んでいる僕の態度が嫌な事もあるかもしれない
それでももしよかったら…ねぇ、一緒に楽しもう? Escapism-Nav]]>
何のために、誰のために更新していますか? / まなめ
http://logistica.exblog.jp/2106241/
2006-05-10T02:16:00+09:00
2006-05-10T02:24:13+09:00
2006-05-10T02:16:47+09:00
text_project
まなめ
私を見てください。
自分のサイトを何のために更新しているかと問われたら、何をどう答えようとこの一言に帰結するだろう。
以上が、今回のお題「何のために、誰のために更新していますか?」への私のすべての回答だが、ここで終わりにしてしまうのも申し訳ないのでもう少々続けてみようと思う。
「私を見てください」というのは、私のサイト全体を通してその向こう側に存在する私自身を見てくださいという意味です。そんな私のサイトの中で、今やメインとなっている「個人ニュースサイト」の部分。これについて一つ思っていることを述べてみる。
どのように書いたらよいだろうかという思考は、ブログは3人に向かって書けにて、自分・対象者・その他大勢すべての目を意識する必要があると書きました。今回はその対象者である二人称をどこにおいているかというお話。
私は、私のサイトを見てくれている人のために更新しています。
私のサイトは今はサイト論の紹介が多いですが、決して「サイト論ニュースいっぱいあるから、サイト論好きな人集まれ~」とは思ってません。私のサイトを毎日見てくださる方の中にサイト論を期待している人がいるので、その期待に答えているという気持ちの方が大きいです。
自分のサイトを毎日見てくれている方の判別方法は、やはりアクセス解析です。
例えば、ニュースサイトの場合は情報元として自分のサイトを良く表記してくれる方のサイトはチェックします。そして、そのニュースサイト管理人の好きなニュースの傾向を把握し、そのサイトでまだ紹介されていない、そしてその管理人が好みそうなニュースを見つけたら掲載します。
例えば、ブログの場合は「いつも拝見しています」と直接書いてくれる方がいます。そういう方のブログも欠かさずチェックし、その人の好きなジャンルを把握できたら、その人に合ったニュースを配信してあげたいなって思います。
おかげで、多くの読者を把握できるようになった今、ちょっと雑多なニュースサイトになってしまった感がありますが、きっとこれも私らしさなんだと思います。
まぁ、一番の読者は自分自身なんですけどね。]]>
誰のために、何のために更新していますか? / 香陸
http://logistica.exblog.jp/2083488/
2006-05-08T13:31:00+09:00
2006-05-08T15:06:41+09:00
2006-05-08T13:31:32+09:00
text_project
香陸
今回のテーマは「誰のために、何のために更新していますか?」ということで「小生にうず」の香陸です。ここのところサイトを更新していないため、いまや過去形で書かなければならないのではないかと思いつつ、端的に書きます。
1. 誰のために
僕は楽観的な人間なので「誰かのために」と解答します。サイトの更新は仕事でやっていることではないので「こうしたい、ああしたい」という気持ちはありますが、目的を持ってこなしているものではありません。つまり、遊びでやっていることなので本質的に目的を欠いています。しかし、ウェブという媒体上(幸か不幸か)僕は単独で遊んでいるわけではないので、誰かが僕を役立てることもありうるだろうとは思うわけです。だから、鳩がオリーブの枝葉とともに戻ってくるのを待ち望んでいるわけではないにせよ、誰にも拾われない紙飛行機を暗闇に向かって投げているわけでもないと感じています。
2. 何のために
こちらも同様に「何かのために」というしかありません。手広い情報の収集とささやかな刺激、それと僅かばかりの金銭のためにやっているという解答もありだと思うのですが、しかし本当にそうであるとするならば、僕はサイトの更新ではなくもっと別のより効率の良いことに手を付けているでしょう。結局のところ、長いこと続けていたら「なにか良いことがあるかもしれない」あるいは「少なくとも悪いことはないだろう」といった希望的あるいは消極的な予測に基づいた暇潰しの継続だったりします。しかしまた、そうやって暇を潰して作ったサイトに思いのほか愛着を抱いたりもするのです。
3. おわりに
実のところ、こうした無動機でサイトを更新している人間は珍しいのではないかと思います。目的のための手段となっているわけでもなく、それ自体が目的となっているわけでもなく、わかりやすい楽しみを享受しているわけでも、なにもないところになにかがあるように思わせる努力をしているわけでもない。それでも僕はサイトを存続させ、人目に留まるところに置いています。図々しいでしょうけれど、もう少し、内側にいると実感できる場所で続きを見ていたいのです。
本質的に目的がないにしても、あるときどこかで目的は必要になってきます。その必要とされる目的を捏造することを放棄しても、前向きに行動するということに関しては迷わない。僕が「楽観的」という語で示唆しているのはそういうことです。]]>
誰の為に、何の為に更新していますか? / 鴎
http://logistica.exblog.jp/2039956/
2006-05-05T00:02:00+09:00
2006-05-08T13:32:28+09:00
2006-05-05T00:02:08+09:00
text_project
鴎
そもそもは自分のネタを書き留めるために始めたサイトであり、自分の持っている情報を共有することで都合のいい環境を作ろうとしている試みでもありました。
他人の喜ぶ顔を見るのが嬉しいということも一種の欲望だと考えれば、僕のすべての行動は自分のための行動だといえるでしょう。
欲望を離れること、滅私すること、完全に他人のために行動するってできるのでしょうか。
小説『フラニーとゾーイー』でゾーイーは妹のフラニーに太っちょのオバサマのために演技しろと諭します。
自分からは切り離されていて、それでいて身近に感じる他者のために、演じろと、太っちょのおばさまは誰でもあり、そしてキリストであるとゾーイーは言います。
我から離れるためには自分から切り離された一神教型の神が必要なのかもしれません。そこでは人はみな等しく神の子であり、神を通して滅私奉公できます。
あるいは、仏教のように、法を極めることで欲望から解脱し、自然と一体になることもできるかもしれません。
僕は特定の宗教に属していないので、神秘的な体験をしたこともなければ悟りを感じたこともないのですが、何かの役職として振舞うとき、自我の鎖から外れ、滅私できるような気がするときがあります。
ただ、僕は欲が深いのか、なかなかそれになじめませんが。また欲望から離れることが人間にとって幸せであるかはわかりませんが、時には自分をなくしてみる体験をしたいなと思います。
なんか全然違う話になってすみませんでした。
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誰の為に、何の為に更新していますか? / みひろ
http://logistica.exblog.jp/2005091/
2006-05-02T01:09:00+09:00
2006-05-08T13:32:19+09:00
2006-05-02T01:09:56+09:00
text_project
みひろ
他の人の事を考えてないということでは無いのですが、
ニュース羅列サイトって自分自身が楽しんで更新したり、
自分の為にならなければやる意味がないですよね。
ブログ形式でやっているサイトに比べて反応はきわめて薄いですし
嫌々やっている人がいたらなんてストイックな人なんでしょうと
誉めてあげたいくらいです。
元々、everything is gone は閲覧者の事を
全く考えていないサイトでした。
サイトを始めた頃に「サイトをはじめたきっかけは?」と
真面目に聞かれたらこんなニュアンスで答えたと思います。
「一部の歪みはあれど、全てをありのままに映し出すWEBという
メディアがあって、毎日これだけの出来事があって、
その中に自分のツボとして興味を持ったという痕跡、履歴を
残していけないものか、という自身の貧乏性な欲望を満たすため」
最初はそれでいいと思ってましたし
「見たい人は見れば。責任持たないから」という
スタンスで、叩かれる事を極端に、顕著に恐れながら
コソコソやっていた記憶があります。
WEBに公開した以上、自分なりに何かを期待していたんだと
思いますが、それ以上に大海に飛び込む事への恐怖がありました。
案の定、サイトを続けていると嫌でも色々と目に飛び込んできます。
それは応援の声だったり、同意の声だったり、はたまた
ノイズだったりします。そういった声に対し、天邪鬼な自分は
「一人でやってるんだからほっとけヽ(`Д´)ノ」
と、矛盾としか思えない事を書きなぐってました。
でも、しばらくして人も増えてきて
「これからこのサイトはどうなるんだろ」
と何気なく考えて、自分の矛盾と向き合った時に
はじめてそういった「声」を受け止めることができ、
糧になったんだと思います。
今は、閲覧者や同業者の反応というのは更新をする上での
スパイスとして必要不可欠になってます。
応援も同意も批判もアンチも含めて。
コソコソする必要はないけど、開き直るのも良くないですね。
やっぱりバランスです。
「誰の為に更新しているか?」に戻りますが、今の時点で言うと
「回り回って自分の為」だという結論になりそうですw
自分の更新はお遊びでしかないレベルですが、そんな中でも
社会というものがあり、人は一人じゃ生きられないな、という事を
再認識している次第です。
まだまだネットは面白くなりますし、どこからどんな
チャンスが生まれるか分からない。だからこそ
毎日新鮮な視点で、けして傍観者にならずバランスを意識しながら
更新していかないとなーと思う今日この頃でした。
● サイト更新は切り替え
個人的には「切り替え」という要素も大きいです。
リアルからネットへ、日常からちょっと非日常へ。
新鮮な気持ちをもってサイトを更新することで
自分の心境や、平凡な毎日にも変化が出てきます。
その変化を見ることができるというのも大きいですね。
自分にしか分からないレベルではありますが。
それが、「あなたは何のためにサイトを更新するの?」と
聞かれたら一番に答える部分かもしれません。
ただ、自分でやっておいて何ですがオススメはしませんよw
7回目。
前回はお休みを頂いてすみません。
さすがに息切れしてしまいました。
相変わらずつぎはぎな文章にしかならん('A`)
思いついたフレーズを膨らます方法は良くないかなぁ。。
「バランス」って「プロなんだから」と同じくらい便利な言葉ですね。
サイトを続けていると昔書いた自分の雑記やら文章やらに
赤面してしまうんですが、それは自然なことなんですよね。
変わらないものなんて無いですし、矛盾あってこその人間です。
自分にとっての過去ログは、後の自分がその立ち位置を
確認するために大事な存在だったりします。
デッドリンクだらけでもね。
と、未来の自分が赤面するような月並みな一文でしめくくる。
実はいつも後書きを先に書いている Σ(゜д゜lll) / デリケート部分みひろ
]]>
お題 その7
http://logistica.exblog.jp/1983951/
2006-04-30T17:02:00+09:00
2006-04-30T17:03:18+09:00
2006-04-30T17:02:14+09:00
text_project
Information
「誰のために、何のために更新していますか?」 by. みひろ@everything is gone
です。
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ソーシャルブックマークが個人ニュースサイトに与えた影響 / まなめ
http://logistica.exblog.jp/1913890/
2006-04-25T00:17:14+09:00
2006-04-25T00:17:16+09:00
2006-04-25T00:17:16+09:00
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まなめ
1.ソーシャルブックマークは個人ニュースサイトから「速報性」を奪った
第一にこれを痛感しています。たった一人のスーパー管理人と数多くのブックマーカー、どちらが良い情報を早く見つけることができるかと言われたら圧倒的に後者でしょう。実際、はてなブックマークを常時眺めていると、アクティブなブックマーカーは24時間PCの前にいるのか?と思わせるほどです。逆に、以前はこのニュースサイトの管理人はいつ寝ているのだろうと思うほどに良く更新されたサイトがいくつかありましたがが、最近はそのようなサイトが見られなくなったように思われます。無論どちらが良いとは限りませんが、はてブの速報性には驚く今日この頃です。
2.ソーシャルブックマークによって多くの人が個人ニュースサイトの楽しさを知ることができた
はてブは楽しい、こんな楽しみ方があったのか。そう思った人もいるでしょう。その楽しさが個人ニュースサイトの楽しさです。かつては、個人ニュースサイトなんてニュースを並べているだけで何が楽しいの?と聞かれることがありましたが、最近ははてブ等により自分でニュースをクリップする楽しさを味わった人も多いと思います。また、はてブとニュースサイトの違いは「距離感」だと思います。ニュースサイト同士はアクセス解析やお互いが参照しあっていることをある程度前提にしているのに対し、はてブは同じニュースをブックマークすればブックマークしたユーザやコメントを一同に参照することができるでしょう。
3.ソーシャルブックマークと個人ニュースサイトのピックアップ基準の違い
ソーシャルブックマークと一言で言いますが、全体と個人では全然違います。全体を見た場合、注目のエントリーのような不特定多数のユーザによる多数決で集まった記事が並びます。しかし、ユーザが多いことは長所であると同時に短所でもあり、情報の方向性が非常に分散してしまいます。私自身、誰もが興味を示す記事には興味の強さは弱いとも思っているため、どうしても質の高さにおいて劣ってくるような気がするのです。しかし、個々人のブックマーク(例:Web街道を逝く)という点で考えると個人ニュースサイト同様に、ピックアップの基準はたった一人の判断に依存します。ブックマークとニュースという違いはあれど、興味を持ったという点で同じに考えると、そう大差はないのかもしれません。しかし、大差はないといってもソーシャルブックマークが個人ニュースサイトへの新規参入障壁になってるとも思いにくいのです。
4.ソーシャルブックマークと個人ニュースサイトにおけるニュースの寿命
個人ニュースサイトと言えば津波アクセスでしょう。はてブも上位になればある程度のアクセスを発生させることができますが、大手と呼ばれるニュースサイトにはまだかなわないのが現状だと思われます。また、個人ニュースサイトにおける津波アクセスの引き波が早いのと同様に、はてブの注目のエントリーも一日単位で更新されるため継続的なアクセスの発生は難しいと思われます。個人的には、情報の伝播のスパンが短い分、はてブの方が寿命が短い気がします。さらに、ニュースサイトで見られる同じ情報の再燃。まだ一年とちょっとしかたってませんが、はてブでも以前盛り上がったエントリが再び注目のエントリーに舞い戻ってくるケースも見かけるようになりました。ニュースの寿命という点では非常に似ているように思われます。
5.ソーシャルブックマークが個人ニュースサイトを超える日
ソーシャルブックマークと個人ニュースサイト、超える超えないの前に立ち位置が違うような気もしますが一応考えてみました。最近思うことなのですが、私にとってまなめはうすは、私個人のポータルサイトだと思うのです。自分が気になるニュースが並んでいて、自分が使うリンクが並んでいて、私の興味あることにはここからすべて辿れるような気がするのです。しかし、これらは全部自分で揃えているんです。これを-例えばAmazonがおすすめの書籍を教えてくれるように-自分の興味あるニュースの傾向から、私が好みそうなニュースを自動でピックアップしてくれるような機能ができたら、そんなポータルになったら個人ニュースサイトを超えたといってもいいと思うのです。もちろん、はてブにも大きな弱点があり、タグのグルーピングができないため関連記事をまとめるのが難しく、また情報の流れを追うことができません。時間軸に関するサービスが付加されることがあったら、大化けするんじゃないでしょうか。
もしこのような形で個人ニュースサイトがソーシャルブックマークに駆逐されるような日が来たら、個人ニュースサイトの次の時代を担うのはまとめサイトになると思います。現在、最も勢いのあるものは2chまとめブログでしょう。これは、数多くあるスレの中からおもしろい部分を抽出し消えてしまう前にブログに転載して残すという、非常に速い流れの中からおもしろい部分を抽出する時間的まとめサイトです。しかし、今後はある一つのテーマにおいて数多く存在するブログの中から優良記事をまとめ上げる-例えばトラックバック論まとめのような-場所的まとめサイトが必要になってくるような気がしました。
最後に、私は現在ソーシャルブックマークを自分のニュースサイトの情報源として活用しています。そのソーシャルブックマークが個人ニュースサイトを超えるようになったらそれは非常に喜ばしいことだと思います。良いニュースが適した人に伝わること、これが一番喜ばしいことだと思います。
◎参考リンク
ARTIFACT ―人工事実― : 個人ニュースサイトを運営する楽しさはソーシャルブックマークに吸収される
FPN-ニュースコミュニティ- ソーシャルブックマークはニュースサイトをコモディティ化する
歌う脳髄 - ソーシャルブックマークは孫ニュースサイトを駆逐するか?
歌う脳髄 - ソーシャルブックマークは羅列型ニュースサイトの代替たり得るか
304 Not Modified: ソーシャルブックマークを用いて個人ニュースサイトをやる価値はあるのか。
あとがき。
今回のお題は「mixiってどーよ?」だったのですが、私自身 mixi はアカウントを持っているだけで使ってません。そこで、SNSだけでなくSBMまでOKということでしたので、後者について書かせていただきました。しかし、せっかくの機会なので mixi にも軽く触れておこうと思います。
ブログとSNSで一番違うのは、Googleの監視下かそうでないかだけだと思っていました。しかし、YouTube のような公開型SNSは検索にもかかるし、多くのブログシステムで用意されているプライベートモードは当然のごとく検索にはかかりません。mixi の特徴である足あと機能も、楽天ブログをはじめ多くのブログに導入されてきているし、コミュニティ機能もはてなにはグループ機能があります。ここまでくると、ブログとSNSの違いはほとんどないのではないかと思うほどです。そんな中で mixi が優れていると思うところは、「ユーザ間の距離を一定に計ることができるところ」「利用者層が他のサービスと比較して若い」「アクティブユーザの比率が高い」あたりでしょうか。特にユーザ間の距離の部分は、ブログよりは身近感のあるところが特徴でしょう。mixiにはまるかはまらないかは、その距離感を心地よく思うか、窮屈に感じるかの差なのかなと思っています。]]>
mixi(とか) / 香陸
http://logistica.exblog.jp/1894556/
2006-04-23T20:10:00+09:00
2008-12-20T17:14:35+09:00
2006-04-23T20:10:15+09:00
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香陸
今回のテーマは「mixi(とか)」ということで「小生にうず」の香陸です。「とか」という具合にお題に幅があるのですが、僕は「ミクシィ」に関して書こうと思います。というのは、僕も使っているということとソーシャル・ネットワーキングサイトはこれからもっと展開(あるいは定着)しそうだと思うからです。実際、例えば「ミクシィ」くらい人口に膾炙しているサービスを僕は他に知りません。まったく「ミクシィ」の爽やかさには鳥肌が立ちます。
1. 参加
「SNS」や「ミクシィ」を知っていることを前提に書きますが、僕は「ミクシィ」に参加したとき、主に二点を理由に「僕は活用できないかもしれないけれど面白いのだろう」と思ったのを記憶しています。それは「全員に名前がある」ということと「誰が覗いたのかわかる」ということによります。そして、どうして「僕は活用できないかもしれない」と思ったのかというと、僕はすでに自分の名前に無頓着で、そのために覗いている人の特定にも興味がなかったからです。実際、僕はミクシィを使いこなせていないと思います。
2. 友達
「友達100人できるかな♪」という歌があるように「友達が多いことは良いことだ」という伝統的な価値観があります。それに「友達の友達はみな友達だ、世界に広げよう、友達の輪!」という古き良きテレフォンショッキングの精神を加味して「友達」を「マイミクシィ」と「コミュニティ参加者」いう概念に分類して置き換えたものがミクシィです。ここで大事なのは個々人の情報よりも、個人と個人の間の矢印のほうに重点があることですね。だから、ミクシィはblogよりもずっと名刺的であって、とにかく「繋がっている」という既成事実を明示することが大事だということです。こうしたある種の素直さがミクシィの爽やかさの原因だと僕は思っています。
3. 常識
しかし、こうしたサービスの自然さというのはWebの常識からいくと不自然です。多分「ミクシィ」等からウェブを本格的に利用しだした人と古参のウェブ老人とでは話がすれ違うことが多いのではないでしょうか。とはいっても今後、ミクシィ等での交流が一般的なものになると僕は思います。間違いなくミクシィが「内部」になりますね。そういう風にして「プライベート」と「パブリック」に分裂するのは良い傾向だと思います。しかしプライベートがソーシャルというのがそもそも異常なのでさらに食い破られる領域ではあるでしょうけれど。結局、生身の人間同士の接触が一番確実ということです。
4. 妙味
ちなみにこの手のサービスでは「使い手のモチベーションを維持すること」と、それと連関して「ローカルなスペースを作り出すこと」が大切なのではないかと思うのですが、ミクシィはそれを半ば心理的な要素によって解決しているところに妙味があって面白いなと思います。それは例えば、なにかアクションがあるたびにいちいちPingを打ったり、足跡が残ることで素通りすることへの背徳感を煽ったり、安易な接近に対する閾値を高めたりということです。いわゆる「距離感」がそうしたところで表現されているのかなと。誰かに近くにいて欲しいけど、あまり来られても困るというような。
5. 余裕
殴り書きになりましたが「ミクシィ面白いよ」ということでうそ臭い終わり方をしておきます。コミュニケーション(ツール)過多の時代ですが、まともな交際ができるくらいの誠実さと余裕、あるいは実力を持つこともある程度は大切じゃないかな(と思っているから、僕は人付き合いが苦手だよ)と付言して僕は絶望しようと思います。そしてまた、他者危害の原則の枠内で各人が楽しいと感じて勤しんでいることに関して苦言を呈することができるほど僕は偉くもないのでできるだけひっそりしています。]]>
mixi(ソーシャルなサービス)ってどーよ? / 鴎
http://logistica.exblog.jp/1840270/
2006-04-19T20:00:59+09:00
2006-04-19T20:00:59+09:00
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鴎
さて、今回のお題、ソーシャルなサービスということですが、かなりこれって広く取ろうと思えば取れて、SNS,SBMの他にも、Blogなんかもソーシャル的だと言ってかまわないと思います。僕は目下mixiにはまり中なので、mixiのことを書こうかと思います。mixiにおおはまりしてる奴はこう見てるって感じですかね。
簡単に僕のmixiの状況を話すと、一日の平均更新回数2+レビュー。マイミク120人。コミュニティ233。って感じです。ぎんぎんにはまっている状態といってかまわないと思います。
mixiの面白さってのは、やはり見知った人の日記が配信されて、コメントを気軽に付け合えるっていうところにあると思います。やはり、たいていの人にとって一番面白いのは身近な人の世間話であり、それを上手くパッケージングしたところが成功の秘訣なのではないでしょうか。
さらに言えば、GREEのインターフェイスが名刺的で、男性的あるのに対し、mixiのインターフェイスは井戸端的というか給湯室的というか、どこか女性的で、おしゃべりの場みたいな感じがするのも他のSNSとの差別化となったのかもしれません。
大体マイミクが20を越えたあたりから、「マイミク増やしモード」に入り、一気に100近くまで増えたので、mixiGraphをみるのがかなり楽しくなりました。マイミクの内訳はサークル70人、高校30人、ネット20人って感じですかね。一応マイミクの日記は全部読んでいるので、人数が多くても繋がりは薄くなってないつもりです。
mixiではかなり気軽にコメントが飛び交うので、Blogとの温度差を少し感じる人もいるかもしれません。それを心地よいと思うかは人それぞれですが、僕は両方いいなぁと思ってます。
コミュニティもかなりマニアックなところがあったり(「ディフェンスに定評のある池上コミュ」なんてあります)、自分で主催できたりしてかなり楽しいです。僕は50を越えたあたりから、コミュニティの書き込みをチェックするのをあきらめて、「面白そうだからとりあえず入っとくかモード」に入り、がんがんコミュを増やしていきました。それでも本当に見ないコミュは消しているので、これくらいの数に収まっています。
コミュニティのイベント告知がきっかけで、おととしは「オザケンナイト」、今年は「フィッシュマンズナイト」というイベントに参加することができました。とても楽しく、いい思い出です。
他にはコンテンツとしてはmixiニュースというのがあるのですが、これは最初は違和感を感じたものの、慣れてくると結構面白い感じになってきました。ニュースで日記を書くという機能があるのですが、書いてみると、見知らぬ人からのアクセスやコメントが大量に来て、あぁ、こんな形でのコミュニケーションが取れるんだなと感心しました。
mixiの成功の影には携帯あり。携帯でmixiをやってる人は多いのではないでしょうか。僕の携帯のホームページもmixiになってしまいました。出先でちょっとメモ感覚で日記更新したり、他人の日記が読めたりするのは楽しいものです。はからずもmixiは携帯用のRSSとして機能していると思います。mixiの成功の影には携帯での成功があると思います。
そう考えると興味がわくのは巨人ソフトバンクの動向です。vodafoneを買収し、Yahoo360を開始したYahooは、オークションなどのほかのサービスとのシナジーでどんなサービスを打ち出してくるのか?興味が尽きないところです。
mixiというと実名文化ですよね。多くの人が実名を公開して活動を行っています。僕自身は古い人間ですから、実名は出していません。ただ、自分の本名を明かさないだけで、mixiでは完全にリアルと同じ人格として振舞っています。
mixiとblogを二つ掛け持つと、書くことがないじゃないかという話がありますが、僕は「同じコトを書く」ということで解決しています。ただ、mixiのほうではパイロット版を公開し、鴎庵ではディレクターズ・カット版を公開といった感じで、内容を少し改変しています。一応mixiですでに見ていても、楽しめるようには書いています。
だから今は鴎庵のほうは、mixiに引っ張られる形で、よりリアルの僕に近くなってきているのではないかと思います。
mixiの面白さのひとつに新着情報のお知らせがあると思うので、これを一歩進めて、なんらかのアンテナサービスか、RSSサービスを開始してもらえるともっと楽しくなるかなと思っています。
今日は手当たり次第mixiについて書き散らしてみました。みなさんがこのお題でどのような文章を展開するのか今から楽しみです。ではでは!
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お題 その6
http://logistica.exblog.jp/1517139/
2006-03-30T19:31:06+09:00
2006-03-30T19:31:06+09:00
2006-03-30T19:31:06+09:00
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Information
「mixi(ソーシャルなサービス)ってどーよ?」 by 鴎@鴎庵
です。
お詫び:更新が滞ってしまい申し訳ありませんでした。]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/