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筆者とサイトと閲覧者 / とし
サイト運営者として、サイトという「場」の中で閲覧者とどのように繋がりを形成するか。これは自分にとってのひとつの大きな課題だと感じています。そこで本稿では私なりに筆者と閲覧者のあいだの関係について考えます。

サイトは興味を共有するためのものではないだろうか。
以前、私のサイトで「ニュースサイトの中のヒトはなにを考えるか。」という文章を書きました。ここではサイト運営者として閲覧者の興味を感じることが最も大きな喜びだと書いています。
もう1年以上前の文章になってしまいましたが、基本的に思うところは変わっていません。サイトを運営するためには自分の興味の方向性をしっかりと理解し、それを楽しむことが大切だと感じています。それが閲覧者の興味を誘発すると思っているのです。

自分の興味をサイト上で表現することで閲覧者と初めて興味を共有できるようになる。言葉を換えれば好きなことを好きなように展開すればサイトは自ずと固定の閲覧者をつくってくれるデバイスになるということです。また、長期的には閲覧者が筆者に興味を持ってくれることが最大の喜びであるという点も先の文章と全く変化していません。そして、このサイト構築のスタンスはサイトをそういったデバイスにも十分にしてくれるでしょう。

興味の変遷とサイトの関係
ところで今現在、私のサイトは更新が停止しています。もちろんその間もサイトの閲覧は行っていますが、最近ニュースサイトを閲覧することが少なくなってきました。厳密に言えば閲覧するニュースサイトが減っています。自分自身の興味がニュースサイトに向かわなくなってきたということです。興味の方向性が変化してきているわけですね。

この興味の変遷は更新が止まっている遠因にもなっています。サイトが軌道に乗ったことは良かったのですが、書き手としての自分がその軌道に束縛されている状況。サイトに繋がれてしまい、サイトとの繋がりが脆弱になってしまっているとでも言えば良いでしょうか。

サイトの更新は停滞し、書きたいことがあっても書きにくいサイトしかない。これはサイト運営者として由々しき事態です。近いうちに更新を再開しようと考えていますが、不思議とそのことを漠然とどうしようか考えているときはもがいているけれどとても楽しい。興味の方向性と表現を考えることはサイト運営のひとつの隠れた楽しさだと思うのです。それほど目立った変化はないでしょうが、書き手としての意識は変化しているはずです。

筆者とサイトと閲覧者
この文章の冒頭でサイトというデバイスを介在した閲覧者との関係を考えようと書きましたが、実は筆者とサイトとの関係は閲覧者との関係そのものだといえるのです。自分の興味をそのまま素直に表現できるサイトを維持することが閲覧者との繋がりを最も強く感じることができるサイトとなるでしょう。そして、そのサイトはおそらく閲覧者を満足させることができるのではないでしょうか。

そんなサイト作りができたら幸せだなあと心から思うのです。
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by text_project | 2006-07-11 10:10 | とし
サイトに束縛されていませんか? / とし
今回のお題は「失敗談」。

サイト運営において小さな失敗はいくらでもある。 記事で誤った説明をしてしまったことや曖昧な表現をしてしまったこと、コメント欄で指摘されるまで気が付かなかったなど、失敗と言えることは日常的にある。
しかし、ここでは過去の失敗ではなく現時点で失敗しているなと思っている現在進行形の話をしようと思う。 生々しい具体的な話になってしまうかも知れないが、そこはひとつ我慢していただきたい。

そもそも私は非常にものぐさである。だからサイトも毎日更新することができない。少しでも毎日更新に近づけようとはしているが、週に3回くらい更新するのが精一杯である。いま最もアクティビティが高いのは間違いなくはてなブックマークであろう。なぜならば更新が楽だからだ。

サイトの更新はしないのに突然リニューアルをしてみたり、サイト更新を楽にする方法を実装してみたりシステムを更新するのが大好きだったりする。 実を言うとここ2週間くらい自宅のサーバ構築とOrbiumのMovableTypeバージョンアップ+改造とかをしていて更新がおろそかになっていた。現実逃避と言うほどではないが、作り込んでいく作業が大好きで没頭してしまう。JavaScriptを使えるようになりたいなとか、本格的にDBを使ってなんか作るかなあとか真剣に検討してしまう。本来は文章や考え方を公開する側の人間ではなく、公開する場を提供する方が性に合っているのではないかと真剣に考えている。やりたいことがあったときに、それを形にするには今ある道具でできないことが多い。それを作り上げるだけの技術力が欲しいと常々思っている。

場を提供するという意味でもProject::Logistica.Wizrary(これは放置中…)という2つのサイトを運営している。
また、サイト論を書いていたMuibrogも完全に放置状態になっている。その背景にはこのLogisticaの存在も全くないわけではないが、そもそも放置状態だった。ニュースサイターのサブブログは放置になるなんて話があったが、まさにそれである。本当は更新したいと思っているし、いまからアクティブにすることに意味を感じていないわけではない。たぶん近いうちに稼働するのではないかと思っている。

そこでしかできないことにこだわる必要を感じなくなってきているからだ。

というのも、サイトの表情はそのときそのときの運営者の感性を映し出す鏡のような存在なのではないかと思うためである。その姿はおそらく管理人にしか見えないくらい些細な変化しないのかも知れないが、管理人はそのことに非常に敏感であるはずだ。少なくとも私は敏感でありたいと思っている。その姿が立ち上げた後の自分を束縛することがある。その束縛に囚われてしまうことがサイト運営上の失敗となるのではないかと思う。

このことはサイトを複数持っている管理者にも当てはまる。 更新が息苦しくなるとき、放置してしまいたくなるとき、それは過去の自分か映し出された鏡をみて奇妙な感触を持っているときなのではないか。きっと今やりたいこととサイトでしていることに隔たりができているのではないだろうか。
サイトは自分のものである。そのときの自分がやりたいことをすればいい。そのときやりたいことを見つけるのもまた難しいのであるが、手探りで方針転換してみるのもおもしろいと思う。本質的に行うことにダイナミックな変化は無いはずであり、流れる空気が変わればおもしろさは増すはずだと思う。実際に新しいことを始めるのはエネルギーが必要であるがおもしろく、様々なことを与えてくれる。実際、私はこのLogisticaでも様々なことを教わっている。


そのことを実感として感じることができなかった自分はいままで失敗していたのだなとこの文章を書いてようやく理解した。




この文章は失敗談を綴るエントリであるはずで、当初はサイトを放置していることが失敗なんだろうかという文章を書こうと思っていた。
しかし、書いている途中で運営における失敗の本質は過去の自分を映し出しているサイトの表情に束縛されていることなのではないかということに気付き、途中で方向転換した駄文である。本来なら推敲しきれいに書き直すべき文章であるが、そのプロセスを残すためこのままの形で公開することにする。

失敗談というお題についてはきちんと書けていません。本当にすいません。
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by text_project | 2006-03-19 14:21 | とし
テクニックと呼ばれるものは / とし
お題は「テクニック」。
この手のお題は苦手だと知った。自分語りしようにもこれといったテクニックを持っていないと思うし、それを公開したところでなんと言うこともないと思うからだ。テクニックかも知れないと思うものはほとんど環境整備になってしまう。これはテクニックだと私は考えない。要するに誰でも簡単に更新できる環境で更新しているためだ。

ネタ集めにテクニックは使ってない。
ネタを収集する際、以前はタブブラウザ(Firefox使ってます)のタブをいくつかずつ開いて見ていた。最近はRSSを公開していないサイトの更新情報も拾えるFreshReader(MyRSSのエンジンを内部的に持ってる)を導入してより快適な環境になった。あとはオートアンカー(Firefox用xpi版)を使ってリンクを張るくらい。これもオートアンカーと同様の機能をMovableTypeのQuickPostに持たせているのでより快適になっている(RefererがサイトのSourceに反映するようになってる)。 このような環境を整えるのは、ちょっとした知識も必要になるため一種のテクニックであると思うが、これはアイデアと単なる実装であって、手順そのものはテクニックではない。
ネタの選別にテクニックがあるという意見もあるだろうが、それは身に付いた嗅覚であるだろう。自分がおもしろいと思えるかどうかがすべてである。本能的なものに近くテクニックとは言い難い。
では日々更新に費やす時間の中で使っているテクニックとは何だろう?


最も気を遣っているのはタイトルの付け方である。
おそらくこれに尽きるのではないかと思う。どれだけ興味を引きつけるようなタイトルを付けるか、内容がわかりにくくならないか、疑問に思えるフレーズであるかなど、気にし出すととまらなくなる。できるだけキャッチーでかつ本質的なタイトルを付けることができるかにテクニックは隠れている。

【水に電気を流して氷にする話】
具体的な例を挙げよう。以前、水に高圧電流を流すと氷ができるという話題を取り上げたことがある。このときに「水に電気を流すと水素と酸素が… いいえ、氷ができるんです」というタイトルを付けた。このタイトルは今でも良くできたと自画自賛している。多少冗長だとも思っているのだが、読者の興味を引く効果はあったようだ。目に触れたときに「ん?」と思わせればタイトルの役割は全うされている。単純に「水に電気を流すと氷ができる」よりも不思議さが増す。このおもしろさはやみつきになる。


羅列された話題にこそタイトルの重要性がある
タイトルは1エントリに1つの話題をもつブログだけのものだと考えている人も少なくないだろうが、そうだとは思わない。羅列型ニュースサイトであっても元記事のタイトルをそのまま引くのではなく改変することも可能である。ここに意思を反映することだって十分に可能だ。

ただでさえ同じ話題を取り扱う機会の多いニュースサイトでは、タイトルの改変はサイトの雰囲気を作る上で重要なのではないかと思う。しかし、このときにぱっと見てどんな話題なのかわからないようでは困る。そういう意味で本質的でありキャッチーなタイトルを付ける必要がある。
思わずクリックしてみたくなるタイトルを付けることは魅力的なサイト運営をする第一歩になる。これは日々のサイト更新を単調なものにしないためにも役に立つ。複数の束縛要素がある中で効果的なフレーズを考えるというのは案外おもしろいものだ。


良いタイトルとは何だろうか。
繰り返し書いてきたことだが、まとめてみる。
私の考える良いタイトルとは以下の3つの要素を満たしているものだ。

  • 記事の内容がわかる

  • 見た人の興味をそそる

  • なんだろう? と疑問に思う



なにげなく書いたが、こうしてみると新聞社などの付けているタイトルは上手いことがわかると思う。本質的で事実を伝えつつ、おもしろそうだと思わせるタイトルが付けられていることが多い。それにもう一歩加えるのが本稿で述べたいテクニックである。

ポイントは3つめの「疑問」に思わせるタイトルである。疑問に思うことが下手になっていると第3回目で述べたが、それがここにもあらわれる。 疑問を提示されたら、そういえばなぜだろうと疑問に思うことが多い。 この感覚は日常的なものだと思う。そして疑問の発見は喜びでもある。

このとき、記事を読めば疑問は解決するのだから、疑問の発見と解決がセットになる。この1クリックには大きな意味がある。 同じニュースを読むのでも疑問を抱えて読むのとそうでないのでは読後感が変わることは自明である。良いタイトルは読者に爽快感を与えると考えている。 この爽快な1クリックを提供してくれるサイトは非常に好感が持たれるだろう。

あまり意識していないことかも知れないが、読者とのインタフェイスになるのはサイトデザインと記事のタイトルである。中身がおもしろいことはもちろん大切だが、中身をおもしろいと思わせるかどうかも実はインタフェイスに依存していると考えている。

この話題もおもしろそうなのだが、今回はこの辺で。
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by text_project | 2006-03-06 12:11 | とし
ウェブには辞書的なおもしろさがあるだろうか。 / とし
小さな頃、活字を読むのが大嫌いで本といえばマンガばかり読んでいる子供だった。 だから身近にある印刷媒体といえばマンガと教科書。 今でこそ小説とか専門書を若干読むようになったけど、印刷された活字とは縁遠い生活をしているといえそうだ。
そんな子供だったが、その頃からひとつだけ手になじんでいる本がある。それは辞書。ふと疑問に思った言葉やフレーズを辞書で調べるのがいつからか習慣になっていて、辞書を読みふけっている子供だった。


辞書はすごく楽しい本だ。
単語を調べるとその用途、時には語源などが示されている。知識が広がることを喜びだと意識し始めたのは最近だが、このころから知識欲が満たされることを肌で感じていたのかもしれない。文中に出現する意味不明の単語を連鎖的に調べるのもおもしろかった。

辞書の楽しさはこれだけにとどまらない。辞書の醍醐味は調べようとしていなかった知らない単語が目に飛び込んでくることにある。聞いたことはあるけど意味はよくわからない、使ったことはあるけどその単語の詳しい定義を知らない、そんな言葉は腐るほどある。そんな単語に出会ったとき、人間は疑問に思うことが下手な生き物だと痛感する。この感覚がたまらなく好きだ。
連鎖的にあふれ出る知識を、貪るように読みふけっている子供だった。


時は流れて。
調べ物はGoogle、言葉の背景やあらましを知りたければWikipedia、英単語を調べるなら英辞郎か手持ちの電子辞書で調べるようになった。ネットにある知識はその信頼性こそ低いが物事の輪郭を把握するためには十分である場合が多く、的確な情報を得やすいため有効だと感じる。この優位性は皆が疑問に思う角度が共通しているためであろう。辞書よりも遙かに「かゆいところに手が届く」情報だと感じる。またデジタルな情報は検索することを大前提としているため、調べ物の時間を大幅に短縮することができるようになった。


しかし物足りない。
辞書を読みふけったあのころの醍醐味がネットにはないのだ。 全くないわけではないが、調べ物をしている最中と限定すればほとんど無い。目的に直進するための整備が整った世界がネットなのだと感じる。目的は達成されるがそれだけなのである。それがすべてだと言わんばかりのネットが少し嫌いになりそうだ。

Wikipediaなど一部のサイトにはランダムにコンテンツを表示する機能があるが、これはまた少し趣が違う。辞書はそれが無尽蔵にあり並列に表示されている。読者はそこから光る石を発掘することができる。発掘という表現は的確ではないかもしれない。向こうから飛び込んでくる。全く関係のない単語が「俺のことを知っているのか」と意思表示するようで、それがおもしろいのだ。ランダム表示ではこのダイナミクスは体験できない。


ウェブにはその醍醐味がないのか。
といえばそれはそれで間違いだと思う。なにより「調べ物」の敷居が低い。気になったらすぐにGoogleで調べることができる。 Firefoxの「Super Drag&Drop」を使って気になる言葉が出てきたらドラッグするだけでGoogleで検索できるようにしている。

しかし、これでは読んでいる(そもそも興味を持っている)分野の造形が深くなるだけである場合がほとんどだ。それでは辞書の醍醐味、あの「疑問に思うこと、興味を持つことが下手」だという感覚を手に入れることは難しい。
目的意識を持ってカテゴライズされた枠組みを持つように設計されたウェブには辞書と同じような醍醐味を求めることは無理なのだろうか。

インデックスがある意味無秩序に羅列されているという観点で考えるのなら、はてブの人気エントリみなぎねあんてななどのニュースサイト統計などではそれが実現されているともいえる。
単純に今話題になっている情報が集積されているというだけではないおもしろさがあるのは辞書的なおもしろさがそこにあるからではないかと感じる。辞書は近い発音の言葉しか一度に目に入ってこない。 それに比べてより広いフィールドの言葉が目に飛び込んでくる分、おもしろさは大きいといえるだろう。 しかしそれでも羅列されたものが「誰かが興味を持った話題」であるという事実が私の知識欲をわずかばかり満たさないとも感じる。


辞書と印刷媒体
辞書は印刷媒体の中で特殊なモノなのだろうか? それは違うと思う。
印刷媒体の特性は情報がカテゴライズされているにもかかわらず直列に並んでいるという点だと思う。 これは雑誌などでページをめくるとこれまでと全く違う趣の特集などが組まれていることを想像すれば簡単に理解できると思う。 たとえ興味が無かった話題でも気になる記述が目に飛び込んでくればそれを読むと思う。ページをめくるという動作が、人間の興味を支配する。 その力が印刷された媒体にはあると思うのだ。


じゃあ、ウェブはどうすればいい?
そのままでいいと思う。辞書には辞書の優位性があり、ウェブにはウェブの優位性がある。と、書き始めたときにはあきらめようと思っていた。

ウェブ全体で考えればそれはその通りだ。すべてのコンテンツが万人にとって情報を抱いているとは限らない。だからGoogleが全件ランダム表示なんてサービスを始めたところで誰も使わないだろう。自分にとってゴミだらけなことが自明である。
しかし、ローカルに見たらどうだろうか? タイトルと概要だけを表示したインデックスをランダム生成すれば意外とおもしろいかもしれない。 先に述べた辞書的なおもしろさがあるかどうかは不明だが、きっと心躍るインデックスになると思うのだ。

たとえば、これまでのブックマークがランダムで表示されるはてなブックマークなんて少し見てみたいと思わないか?

ウェブの真の優位性は蓄積した情報をもう一度使って新しい仕組みを作れるという点にあると思っている。 その仕組みを創造するのはほかでもない「かゆいところに手が届かない」と思っているユーザなのである。
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by text_project | 2006-02-22 13:36 | とし
職業病 / とし
職業病とはなんだろうか?
一般的にはある職業に就くことによって身体にしみこんだ習慣とでもいうのか。おそらく世間ではより広義に使われ、何かをしているから身に付いたというニュアンスなのだろう。 では、サイト運営者として身体に染みついている習慣とはなんだろうか。 いくつか思い当たる。

真っ先に思いつくのは巡回。
普通の人でもwebを閲覧するときには巡回するのだろう。 しかし、その見方が違うのではないかと思う。 漠然と眺めるのではなく、明確にサイトで取り上げるためのネタを探しに行くというスタンスは一般的ではなさそうだ。
気にするのは、1)自分自身がその話題に興味があるかどうか、2)わかりにくい部分がないだろうか、3)付加すべき情報が無いだろうかといった点である。
紹介するだけではなく、話題として展開する余白がどれだけあるのかがネタを選出するポイントになる。 これは時間が無くて更新など決してできないときでも行われる選別であり、職業病だといえそうだ。

はてなブックマークで取り上げる話題に関しては、1)が選出における最重要点になる。これは枠組みが異なるためだろう。閾値の取り方が非常に難しく、現在悩んでいる点でもある。羅列型ニュースサイトから長らく離れていた弊害である。
取り上げるかどうかの選別は日々更新することによって鍛えられていくものであると思う。つまり閾値は経験と習慣に基づくものであり、閾値を意識した閲覧はサイト運営者の職業病だと思う。


真偽のほどが気になる。
科学系の話題を多く取り上げるためであるのだが、新聞社などのニュース解説の場合は特に細かい記述における表現が気になることが多い。
GoogleやWikipediaを使って検索・探索し、派生する情報を集めてその表現が的確かどうか調べるクセがついた。これも巡回と同様で普段から行うようになってしまった。
気がつけば記事にできるくらいの情報が集まることも多い。この課程で記事として取り扱うことになるものも少なくない。 それは付加情報がおもしろい場合で、ニュースそのものは枕ネタ程度に扱われる。 しかし、ネタとしてストックされることは少ない。 こういう意味では、私自身にサイトがニュースサイトであるという意識が少なからずあるのだろうなと感じる。


技術的な話題と表現方法をリンクさせてしまう。
はてなブックマークの話題をあげたが、これをはじめとしてMovableTypeなどのブログツールやRSSリーダなど、更新や巡回を便利にしてくれる道具に目がない。特にSBMやwikiなどに触れると、それを使って興味をどんな風に表現できるだろうかとつい考えてしまう。
第1回目でも少し触れたが、興味の表現は枠組みによってある程度達成されるものであると考えているためである。 つまり、MovableTypeのような枠組みで表現しやすい意識もあれば、はてなブックマークで表現しやすい意識もあると思っている。

webで公開されている構築用の枠組みにはユーザがいじる余地があり、自分の意図を表現する道具として使えそうだと感じることが多い。大いに利用して遊びたいとかき立てられる。これはサイトを運営しているからこそ感じる欲求であり、ある意味で特権だと思う。プラグイン開発などが最もわかりやすい例であろうか。
RSSリーダからはてなブックマークへ自動投稿し、そこからMovableTypeに自動的に投稿するといった更新は非常に楽しい。自由自在にこういうのが書けたらいいのだけど、それほど詳しくないという実情が悲しい。

わたしの職業病は
「記事として取り上げる感覚」と「サイトの枠組みと興味の表現の関係」について意識しているようだ。 どちらもサイトという装置を介して自分の興味の方向をどのように指し示そうか、形として残そうかとしていると考察できそうだ。




普段は思ってもみないことだったのだが、いざテキストにしてみるとわかることがあるのだと感心した。これがお題に対して無理くり文章を書く、この企画の醍醐味だと感じる。
もちろん、人の文章を読むことはおもしろい。 だが、企画の神髄は書くこと、言葉にすることにあるのだと思います。

これを読んでいる皆さんのご参加もお待ちしております。
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by text_project | 2006-02-11 13:11 | とし
あなたのサイトの個性はなんですか? / とし
「あなたのサイトの個性はなんですか?」が今回のお題。
これをお題にしたのは僕なのですが、どう話そうかちょっと悩みました。

初めまして。 Orbium -そらのたま-のとしです。
うちのサイトは、ニュースサイトと言うには心許ないものになっています。しかし、テキストサイトというほど書いてもいない、非常に中途半端なサイトです。 特徴といえば科学系のネタにある程度特化していると言うこと、ニュースに対して解説めいたことをしていることでしょうか。


Orbiumの成り立ち
もともといわゆる羅列型ニュースサイトをやっていたんですが、2年ほど前に今の形式に変えました。 大きな要因になったのはMovableTypeを導入して個別ページが自動生成されることをうまく使えないか? と考えたのがきっかけです。
ひとつの話題に対して、解説や背景、感想や考察などをつけたら、ニュースソースを紹介するサイトとは違ったものができるかもしれないなと「ニュース引用+解説+感想」という形をとるようになったわけです。

実はこの成り立ちにはもう一つの意図がありました。それはこの枠組みがある程度成功すれば、この枠組みを持つニュースサイトを補完する可能性のあるサイトが増えるのではないかという企てです。科学系などジャンルに特化するという意味ではなく、枠組みとして、です。


結果的に、この意図はうまく機能していない。
形式としてはニュースに感想を付けている日もあるブログや、海外のニュースを紹介するサイトなどがありますが、専門性(別になくてもいいんだけど)のあるニュース解説・感想サイトというベクトルをもつサイトとなるとまだまだ少数派という状況だと思います。

ぱっと見は長い解説を書く手間、必要とされる専門知識(これは必要ないのですが)、取り上げられる話題がどうしても少なくなるなど、マイナス要素が目立ちます。取っつきが悪い枠組みですね。 しかし、前述したように僕はこの枠組みを羅列型ニュースサイトの欠点を補完するひとつの形なのではないかと思っています。


ニュースサイトの補完
サイト管理人の興味を明示的に表現できること、実質的なリンク切れがないこと、ニュースソースに対して補足ができること、この3点は羅列型ニュースサイトにはないものです。 またソースに付加情報を与えることでニュースの発信源になることができる。 当初の意図には無かった利点があることがわかりました。 これはアクセスという意味で大きなアドバンテージになっています。

このような枠組みのサイトが増えることで、羅列型ニュースサイトの情報源が企業ニュースから移行したらおもしろいなと思うのです。 同じネタを取り扱っても切り口によって完全に差別化が行われるわけですから、どのサイトの情報を情報源にするかによって羅列型ニュースサイトのベクトルもより明示的になるわけですから。


個性といわれるとなやむけど。
サイトの形式よりも「意図まで含んだ枠組み」がうちのサイトの個性だと考えます。 あまり表だって話すことはありませんが、こんなこともできるということを示せたら良いなと考えています。




さて、第1回目のトップバッターを終えたわけですが、今回はメンバーの自己紹介、顔見せだと思っていただければ幸いです。この企画とこのサイトもひとつの枠組みの実験だと思っています。 これからどうなっていくかは全くわかりませんが、どうぞこれからもよろしくお願い致します。
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by text_project | 2006-01-30 01:40 | とし