印刷媒体とウェブの信頼性 / まなめ
 人が最も財布の紐を緩くするのは、安心を買うときだと思うのです。

 最近、列車脱線事故やら耐震偽装やら風説の流布やら、大きな事件が相次いでいます。このような事件が大きく取り上げられるのは、信じていたものに裏切られた事件だからだと私は考えています。いつも利用している交通機関、毎日生活している家、監査人によって承認を得た情報など、当然のように信頼できることに裏切られることは非常に恐ろしいことです。近年増えているニートやフリーターも、責任を持って働くことにより失敗する不安をかかえるくらいなら、最初から不安を抱かない立場にいたいと思っているのではないかと、私は考えたことがあります。

 不安を恐れる我々は、情報に対しても同じように接します。テレビや新聞、書籍などの安心できる情報源(企業)から出された情報ならば大丈夫と思い、その情報を信じるのです。しかし、本当にそれでいいのでしょうか?テレビで言っていたから、新聞に書いてあったから、書籍に載っていたから、すべて鵜呑みにしてしまっていいのでしょうか?

 現在、インターネットが既存メディアに取って代わろうという勢いで情報を発信しています。実際、韓国においてはウェブ新聞が新聞紙を超えたような事件も起きました(注1)。そしてウェブには企業だけでなく、個人も多くの情報を同じ立場で発信することができるようになりました。そこで、自分が見ている多くの情報の中から、これは良い!と思った情報をピックアップし、発信しているのが、個人ニュースサイトというものです。

 しかし、個人で情報を判別しているがゆえ、ときどき嘘情報を正しい情報として流してしまい、読者が間違えて信じてしまうという事件が定期的に発生してしまいます。○○というサイトは今まで信じていたのに騙されたと、一瞬で手のひらを返したかのような扱いをされることまであるそうです。おそらくこれも、安心を大事にする人間性が極端に出てしまったケースではないでしょうか。確かに、嘘情報(ネタ)を嘘(ネタ)と表示しなかった側にも多少の責任はあるかもしれませんが、それは今まで既存メディアを信用しきっていて、自分で情報を判断をするということをサボっているだけではないでしょうか?

 ウェブの利便性は非常に良いです。誰もが容易に情報を発信することができます。しかし、その中には裏付けのある情報から、一時の感情で書いたものまであるでしょう。そしてそれらが、平等に扱われるインターネットの世界では、読者がその情報の真偽を自分で見極めなくてはならないのです。「嘘を嘘と見抜けない人には(2ちゃんねるを使うのは)難しい」とは良く言ったものです。

 さて、今回のお題は「印刷媒体とウェブ」。
 このお題から最初に思ったことは、今はまだウェブは印刷媒体ほどの信頼を得ていないということでした。しかし、それは自分には情報の真偽を見極めることができないと自ら言っているようなものだと思うのです。例えどんな情報でも疑ってかかり、その真偽を自分で見極める力をつけてください。そうすればもし騙されたときも、嘘情報を出した人を信用しないと思うのではなく、自分の情報を見る力が足らなかったと反省すればいいのです。そう考えると、ウェブは印刷媒体よりも信頼性が低いではなく、ウェブは印刷媒体よりも自分の情報を見る力を育ててくれる場所だと言い換えることができるのではないでしょうか。

 安心は媒体には依存しません。
 安心は情報源にも依存しません。

 安心は、自分で育てるものです。


*注1
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by text_project | 2006-02-21 15:12 | まなめ
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