mixi(とか) / 香陸
0. 鳥肌
 今回のテーマは「mixi(とか)」ということで「小生にうず」の香陸です。「とか」という具合にお題に幅があるのですが、僕は「ミクシィ」に関して書こうと思います。というのは、僕も使っているということとソーシャル・ネットワーキングサイトはこれからもっと展開(あるいは定着)しそうだと思うからです。実際、例えば「ミクシィ」くらい人口に膾炙しているサービスを僕は他に知りません。まったく「ミクシィ」の爽やかさには鳥肌が立ちます。

1. 参加
 「SNS」や「ミクシィ」を知っていることを前提に書きますが、僕は「ミクシィ」に参加したとき、主に二点を理由に「僕は活用できないかもしれないけれど面白いのだろう」と思ったのを記憶しています。それは「全員に名前がある」ということと「誰が覗いたのかわかる」ということによります。そして、どうして「僕は活用できないかもしれない」と思ったのかというと、僕はすでに自分の名前に無頓着で、そのために覗いている人の特定にも興味がなかったからです。実際、僕はミクシィを使いこなせていないと思います。

2. 友達
 「友達100人できるかな♪」という歌があるように「友達が多いことは良いことだ」という伝統的な価値観があります。それに「友達の友達はみな友達だ、世界に広げよう、友達の輪!」という古き良きテレフォンショッキングの精神を加味して「友達」を「マイミクシィ」と「コミュニティ参加者」いう概念に分類して置き換えたものがミクシィです。ここで大事なのは個々人の情報よりも、個人と個人の間の矢印のほうに重点があることですね。だから、ミクシィはblogよりもずっと名刺的であって、とにかく「繋がっている」という既成事実を明示することが大事だということです。こうしたある種の素直さがミクシィの爽やかさの原因だと僕は思っています。

3. 常識
 しかし、こうしたサービスの自然さというのはWebの常識からいくと不自然です。多分「ミクシィ」等からウェブを本格的に利用しだした人と古参のウェブ老人とでは話がすれ違うことが多いのではないでしょうか。とはいっても今後、ミクシィ等での交流が一般的なものになると僕は思います。間違いなくミクシィが「内部」になりますね。そういう風にして「プライベート」と「パブリック」に分裂するのは良い傾向だと思います。しかしプライベートがソーシャルというのがそもそも異常なのでさらに食い破られる領域ではあるでしょうけれど。結局、生身の人間同士の接触が一番確実ということです。

4. 妙味
 ちなみにこの手のサービスでは「使い手のモチベーションを維持すること」と、それと連関して「ローカルなスペースを作り出すこと」が大切なのではないかと思うのですが、ミクシィはそれを半ば心理的な要素によって解決しているところに妙味があって面白いなと思います。それは例えば、なにかアクションがあるたびにいちいちPingを打ったり、足跡が残ることで素通りすることへの背徳感を煽ったり、安易な接近に対する閾値を高めたりということです。いわゆる「距離感」がそうしたところで表現されているのかなと。誰かに近くにいて欲しいけど、あまり来られても困るというような。

5. 余裕
 殴り書きになりましたが「ミクシィ面白いよ」ということでうそ臭い終わり方をしておきます。コミュニケーション(ツール)過多の時代ですが、まともな交際ができるくらいの誠実さと余裕、あるいは実力を持つこともある程度は大切じゃないかな(と思っているから、僕は人付き合いが苦手だよ)と付言して僕は絶望しようと思います。そしてまた、他者危害の原則の枠内で各人が楽しいと感じて勤しんでいることに関して苦言を呈することができるほど僕は偉くもないのでできるだけひっそりしています。
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by text_project | 2006-04-23 20:10 | 香陸
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