ごめんなさい / まなめ
 私は自分の失敗談なんて書きたくない。お題を知る3日前に、失敗談の方がためになるから好きというエントリを書いたばかりなのに、このお題を言い渡された瞬間、私は「いやだ」と一人つぶやいた。

 失敗談は、読む分には良いが、書くのには非常に勇気がいる。

 そう、実際書く立場に立ってみて初めて気づいたことだ。自分が失敗と思っていることにはすべて誰かに迷惑をかけていることだからだ。むしろ私は、誰かに迷惑をかけてしまったこと、嫌な思いをさせてしまったことに対して最も失敗を感じる。そしてほとんどが自分の中で決着がついていない。だから書くことに勇気が必要なのだ。

 それでも書く。ごめんなさいと思いながら書く。

  • あるニュースへのコメントでちょっとした遊び心で他のサイト様をいじったら、そのニュースに対するニュースサイト反応集というものが作られ、そこに載ってしまい、そのサイト様に迷惑をかけたこと。

  • あるブログ記事を紹介したときのコメントにおいて、情報元のニュース紹介にあった記事へのコメントと会話する形のコメントを書いてしまい、紹介した記事を書いた人に不愉快に思われてしまったこと。

  • 他のブログの意見に反対意見を述べている記事を取り上げたら、ニュースサイトの波に乗り大量アクセスが発生。そのアクセス数により元記事のブロガーに不愉快感を与えてしまったこと。

 はい。生々しすぎてごめんなさい。

 最初の2つはコメントによる失敗。ニュースサイトのコメントはいろんな人が見ているんだなと思いました。紹介した記事を書いた人、自分のサイトの常連さん、自分のニュースサイトに紹介するネタ集めに来る人、情報元リンクのアクセス解析から辿ってきた人、他のニュースサイトで情報元として紹介されているリンクから来た人、たまたま通りがかった人、などなど。それなのに、私は調子に乗ってしまうと視野が狭くなり、一番印象に残ったことだけを対象にコメントを書いてしまうことが多いです。ニュースサイトにとって、コメントは大きな武器にもなる反面、このような失敗も起こることを意識するようになりました。

 最後のはニュースサイトの津波が起こしてしまった失敗。ニュースサイトというものはその性質上、非常に大きなアクセス数を生むことがあります。そして、そのアクセス数が問題を起こすことがあります。その原因は、最初にその記事を取り上げた人と、それを紹介した人と、さらにそれを紹介した人と、…と伝播していくうちに最初に取り上げた人の意思がなくなってしまうこと、そして無常にもアクセスは大量発生してしまうこと。同様な例として嘘ニュース問題もあてはまります。アクセス数が多いことは正しい、あのニュースサイトで紹介されていたことは正しい、そう思われてしまうことです。これについては、ちゃんとネタはネタと表記するのが良いとは思いますが、私個人としては読者にも情報の真偽を見極める目を鍛えてほしいと思います。

 ここまで書いて気づきました。「失敗談は、読む分には良いが、書くのには非常に勇気がいる」と思ったのはなぜか。それは、まだ自分の中で解決していない問題だから。では、どうしてまだ解決していないのだろうか。それは、きっと、あのときあやまることができなかったからだと思ったのです。

 みなさん、誰かに迷惑かけたらあやまりましょう。これが一番大切!

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
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by text_project | 2006-03-18 14:30 | まなめ
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